プロフィール
目次
1.代表プロフィール
2.職歴・経験
一般社団法人あそびばここから
あそびばここからフリースクール
代表理事
田原迫 睦美 (たはらさこ むつみ)
1974年、指宿生まれ。指宿育ち。
5歳になる直前に父が事故で他界。母方の曾祖母の家で母と妹3人、曾祖母、隣の家に住む祖父母と暮らす。
幼少期より生きづらさを抱えて育つ。
大人になるにつれ、益々しんどくなり、自分と向き合わざるを得ないと痛感。
自分と向き合いながら、ひとの育ちや育つ環境(親・社会との関係が子どもにもたらす影響)について探求するようになる。
大学卒業後は、子どもに関わる仕事をしようと決め、様々な職種を経験しながら、教育・心理・発達・福祉など対人支援について学ぶ。
不登校経験はないものの、小1からほぼ毎日遅刻。学ぶ意欲はあるけど、いつも何かしんどくて、高校・大学では早退・欠席(さぼり)しながら単位取得。
学校や社会になじみにくい子どもたちの心身の感覚については、当事者か当事者に近い感覚を持っていたと自覚している。
長年にわたり自分と向き合ってきたことで、自分のことがわかるようになり、経験や年を重ねるにつれてどんどん生きやすくなった。
その中で自分の生きづらさの根本的な原因は、「こころ」より「からだ」にあることに気づき、身体のことを学ぶようになる。
現在、ボディーワーカー(整体師・反射の統合ワーカー)を生業とし、生きづらさを抱えるこどもや若者が、自分の力を発揮して、社会に出ていきやすくなるようにサポートしたり、子どもたちの育つ環境がよりよくなるように多方面にて活動中。
未婚。子育て経験なし。元小学校教諭。ボディーワーカー。
好き・得意:部屋の模様替え、DIY
ゆめ・わくわく:農園づくり(なかなか進まない)、アーティスト(そろそろか?)
職歴・経験
☆20代前半
*宮崎公立大学人文学部国際文化学科卒業。大学在学中に韓国蔚山大学校に1年間の交換留学を経験する。
(この時、生きづらさがピークに達し、自分の中の目を背けてきた部分と向き合うことをスタート。)
*大学卒業後、小学校教諭免許を通信教育で取得。その間、様々な職種で主に対人支援の経験を積んで学ぶ。
(薬物依存症リハビリ施設ダルク、幼稚園、障害者支援施設など福祉事業所、飲食店、ホテルなどのサービス業、他多数の職種でアルバイトをしながら学んだ。ダルクで事務のアルバイトをしながら、薬物依存症の方々のプログラムに参加させてもらった。約2年半の間、老若男女様々な人生を見せてもらい、自分の生き方・人間観などに大きく影響を受けた。)
☆20代半ば〜30代前半
*鹿児島県の小学校教諭として、県内の小学校(谷山・伊仙)に6年間勤務した後、退職。
(子どもと共に学びながら成長させてもらった。教育に携わりたい想いはあったが、本当はやりたくないことや自分では変えられない(と思っていた)こともストレスになり、日々余裕なく、この先も教員として働いていくのは身体的にも無理と判断。「学校教育が変わるには、あと30年はかかる、もしいつか変えるなら(わたしは)外から」と漠然と思っていた。教えるよりもひとの成長に関わりたい想いもあった。)
☆30代
*児童養護施設の児童指導員を経て、「整体ここから(現、ここから整体)」開業。
(児童養護施設のこどもとの出会いが、教師を目指すきっかけの一つだったので、恐る恐る児童養護施設に就職。子どもたちとの関わりを通して、ひととしての自分の力がそこそこあったこと、自分の適性ではない(母性的な関わりが苦手・夜勤や連勤など働き方が合わない・現場より全体を把握する仕事が向いている)ことがわかり、早めに辞職。熱意はあっても身体がついてこないことから、ストレスに弱すぎる自身の身体をどうにかしたいと整体を学ぶ。)
*自営業のかたわら、放課後児童支援員として幼稚園(学童保育)に3年勤務。
(身体について学びを深めるも、治療家より「身体を育てる」方に、「生き方や在り方」の方に関心があり、どう生業としていくかに悩む日々。研修費を稼ぐために就いた支援員の仕事は、教育者としての視点から思うこともやりがいもあったが、やはり自由にやってみたいと、組織に属さず自営業で『ひとを育てる仕事』をやっていくことを決意する。)
☆40代~50代(現在)
*「あそぶことは生かすこと」をモットーに、昭和のおうちをリノベした多目的スペース「あそびばここから」を指宿市に開所(2018年5月)し、ひと育てをメインに様々な活動を展開中。
*あそびばについては、【「あそびば」とは?】のページに詳しく掲載しています。そちらをご覧ください。